音楽なひとたち 
            合 唱
  1指揮者たち    3.合唱    5.オーケストラ     4.ソリスト   


聖トマス教会少年合唱団  ドイツ・ライプツィヒ   https://www.thomanerchor.de
1212年アウグスチノ会トマス修道院附属学校を起源とする。1517年マルチンルターによって始まった宗教改革で成立したプ
ロテスタント派のトマス教会となった。合唱団現在団員は100名でトマーナー(Thomaner)と呼ばれ、この教会とライプツィヒ市によって受け継がれてきた。トマナコアの来日は198 年、福岡公演には福岡の少年が募集されて、知り合いの木の脇道元さんも参加し、(わたしは当日は行けなかったが、)記憶に残る一件でした。、
その時、ヨアヒム・ロッチェがカントールで日本に来ていたが、彼は福岡まで来ないで代理の指揮者が立った。その後、東ドイツが崩壊し、東西ドイツの統合がなされ、共存の難しさを克服したドイツは目覚ましい進展を遂げている。統一時、ソ連時代の密告告発=シュタージでヨアヒム・ロッチェが告発されたというニュースを紀伊國屋書店の音楽雑誌立ち読みで見つけて大変驚いた。東ドイツ共産党時代のキリスト教冷遇と共に心が痛んだ。旧ゲヴァントハウス楽団ホールで、そこは共産党の歴史展示室になっていて、共産党の偉業をあれこれと展示している中にヨアヒム・ロッチェとトマナコアの日本公演の写真があった。係のおばちゃんにこの人日本公演に来ていたというと、よう言ってくれたと言わんばかりに、ソーメン流しのように何事かをしゃべり始めたが、わたしには一言もわからなかった。
 こういうこともあって、統一後の第16代カントールはビラー(ヨアヒム・ゲオルク・ビラー )さん。失われたものを取り戻すかのように、バッハに対する敬意と愛情を子供たちに丁寧に熱心に伝えていた。わたしの最も心惹かれる人物でした。、そしてコロナ禍の渦中にスイス出身のアンドレアス・ライゼが第18代カントールに就任した。教会音楽を修め、少年合唱団を指揮していた若き俊才。トマナコアは新時代を先駆けているように思われる。 
  
   コロナ禍のトマーナコアと未来
 
「創立以来800年の中で、クリスマスの讃美歌を歌わなかったという記録はない」こと自体、衝撃を持って体験された。(https://www.thomanerchor.de 思い出と歴史) コロナ禍で世界規模でキリスト教会が礼拝を停止した。しかし、webを用いて世界各地との合唱の試みがなされたり、観客のいない、出演者が密を避けて、少人数で距離をとっての演奏など。工夫が見られた。観客が多ければ成功という評価は減少し、心に残る演奏が評価されるようになる。
こうしたことから、歌う力も減少したわたしは、ますますPCに向かって音の創生に情熱を注ぐことが出来ると喜んでいる。
 今年のバッハマラソンでは、トマーナコアのライゼ新監督の指揮でマタイ受難曲が演奏された。ベルリンの少年合唱団も参加していた。 楽器はこれまでゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーが演奏してきたが、積極的に若手を起用していた。受難曲の劇的要素が強調され、テンポも一段と速く感じられた。特に、各部分の話を締めくくるコラールは会衆賛歌のゆったりした、テンポ60くらいの心に染みて共有する音楽が伝統的であったが、さらっと終わって肩透かしのような気分がした。コロナ禍はまだしばらく続くようだが、この流れは音楽を寛容にしたと思う。新しい何かが生まれつつあるようだ。
 
 
トマス教会聖歌隊
 
   ドレスデン聖十字架合唱団
その歴史は13世紀にさかのぼる。少年たちは附属の寄宿舎つき学校に通い、卒業後は全寮制の学校に就職する。著名な卒業生はカール・リヒター、テオ・アダムス、ペーター・シュライアーなどがいる。1976,1988年日本公演。
   
   ウィーン少年合唱団  オーストリア ウィーン
1498年に神聖ローマ帝国マクシミリアン1世の宮廷礼拝堂少年聖歌隊として設立された。モーツァルト、サリエリ、フルーツクナーが共演し、シューベルトは合唱団員だった。(wikipedia)
   
テルツ少年合唱団
 (Tolzer Knabenchore)
南ドイツのアルプスの温泉地バートテルツにG・S・ガーデンによつてモーツァルト生誕20年の年1656年に組織され、少年200人が4つのグループに分かれて活動している。(wikipedia)1986年初来日。「バイエルンの天使」たらさわみちの漫画。


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