心の旅」1 -3-   

 「私にボルは要りません」 エッケル  1986年8月11日(月)第1日

 

 「わたしにはボルは要りません」と、エッケルさんは別れぎわに言った。
 これから私が向かおうとしている「ボル」-そこで、若き日のブルームハルト牧師が経験した-彼の教会員のディトスが彼女を苦しめていた心の病から癒されたところの、「これまではさんざん悪魔の言いなりになってきた、これからはイエスの名によって祈ろう」とブルームハルトが言い、「イエスの名による祈り」によって起こった、癒しの出来事はいらない。
 祈りによる癒しの奇跡、言い換えれば「他力」は要らない。

 エッケルさんが言いたいことは、病を自分の弱さとして受け入れ、たえぬく力が信仰であり、寄り添う共同体の信仰こそ大事である。
そのことを宣教師として目指し、20年間、日本伝道してきた。
(前掲のエッケルさんの持論と、「伝道冊子」の内容と、また、2コリント12:9のことばは参考になる。
「 ところが、主が言われた、『わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。
 それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。』」)
 エッケルさんの立場に立つと、祈りの力によって神を動かし、病気が治る。治らないのは祈りが足りないからだとか、また祈りによってなんでもかなうといった、キリスト教伝道の「安売り」、大衆伝道のバーゲンセールによって叶わない約束が多くの人を苦しめて来たことが、批判される。
 このいわば「自力」と「他力」の信仰は誤った伝道を抱え込んでいるので、それを解きほぐすことはむつかしい。ひと言でその善し悪しを私はいうことはできない。
 わたしのささやかな体験から語らせていただく。
 私は自力か他力という、二つの中のどちらにつくのかという問いの立て方はできない。この二つの立場を成り立たせている、そのもとにある「恩寵」という第三の立場に行き着いた。
 ちょっと散文的なものですが、30年前に記した「心の旅」より、次回に再掲したい。

「心の旅」初版 1986
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