オハイオ・ウエスレヤン大学における   遠山参良-1-

1.遠山参郎 略歴・留学 本章 2.封建制度-日本における中世の歴史   
3.レクチャーの講評 4.学生新聞掲載の遠山参良

     


 遠山参良(さぶろう 1866-1932) 略歴
 
現在の熊本県八代市鏡町生 熊本洋学校-同志社英学校を経て、加伯利英和学校に入学、卒業後加伯利英和学校の教師をし、日本の近代化に関わったトーマス・グラバーの子倉場富三郎に続いて、1892年にオハイオ・ウエスレヤン大学に留学した。留学から帰国後、鎮西学館(前加伯利英和学校)の教授をし 、その後、第五高等学校の夏目漱石の英国留学の後任に乞われて就任した。また九州学院の創設、学生YМCA花陵会の指導、鎮西学院理事長等はば広く活躍した。
 


 
留学(1892-96年) 
 
三つの学校を出て、26才で留学し、その第3学年の1894年、授業の一コマで日本の中世の歴史「封建制」について、レクチャーした。28歳の遠山が21歳のクラスメートに話しているのである。その配布レポートが学生新聞「The College Transcript」(週刊誌)に掲載された。

 もともと「倉場富三郎」(Tomisaburo Awajiya Glouber)
の在学時の資料をオハイオ・ウエスレヤン大学に請求した時、デジタル歴史資料室長エミリー・ガトッツイが調べてくれて、オハイオ州の五大学の連合で作っている学生新聞のタベースからPDFファイルを送ってくれたことを知り、それは公開のものであるので、その検索法を探索して、鎮西学院から留学した他の三名の学生新聞の掲載記事のありかを知った。
 なかでも、遠山参良はこの新聞に31件の掲載記事があって、多くておどろいた。
 猛暑の夏を、それを少しずつ見ていくうちに、「天皇の生前退位」の報道があった。
 「天皇の生前退位」の問題を理解するために、遠山参良の「封建制」のレポートは今の時代にも、いや、今こ有益だ、生きた資料として参考になると思った。


 日本の封建制の特徴である「二頭政治」の本質を知ることが歴史を理解する上で大事だと、彼は述べて始める。
 二頭政治とは 将軍と天皇というように政治権力者が二人いる政治のことである。現在では首相と天皇を指している。たとい名目的であったり、象徴であったとしても、天皇によって、政治権力者は認証される。この一点に集中し、説明される。
   次章において  オハイオ・ウエスレヤン大学 学生新聞「College Transcript」1894年11月24日号に
掲載された
       封建制度  日本における中世の歴史
       
授業の前に読まれた資料 日本の青年 クラスのメンバー遠山参良による

 
 
 
 


留学の頃の遠山参良

夏目漱石留学前の送別写真
夏目漱石前列右、遠山参良後列左

九州学院院長時代の遠山参良

※いずれもhttp://www.kyugaku.ed.jp/aic/exhibition/panel5.pdf より
     
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