鎮西学院創立140周年を記念して
    目 次  
  1.CSロングPDF
2.倉場富三郎
3 遠山参郎
4.佐野勝也PDF
5.千葉胤雄PDF
 
 2021年学院創立140周年を迎え、長崎ウエスレヤン大学から鎮西学院大学へと校名変更をするという知らせを卒業生の中野くんのFBで知り、それから、学院HPと、大学のFacebook情報で知った。
 創立130周年の時は私は在職中で、鎮西学院の人脈の中から12の人物伝が記念出版された。その時わたしも執筆担当して、創立者CSロング佐野勝也千葉胤雄の3人を担当した。この本の原稿をPDFにしていたので、この3本と、 その他に、二つのWebスタイルの記事、興味が赴くままに、創立初期、カ2@リー英和学校一期生の「倉場富三郎」彼はトーマス グラバーの一人息子で、別の担当者が執筆していたが彼の留学には一行くらいしか触れていなかったので、わたしは倉場富三郎が学院最初の留学生としてオハイオウエスレヤン大学に4年間在学したこと、履修科目の記録や学生新聞「トランスポート」(成績証明という意味)を検索して倉場富三郎についての記事を見つけて、一文をつくった。どこにも発表していないので、鎮西学院大学となることを祝って、私のHPの本ブログに記しておきたいと思った。
 もう1人、倉場と入れ替わりに同大学に留学した遠山参郎は帰国後、鎮西学院の教授になったが、夏目漱石の後任に乞われて熊本第五高等学校の教員になった。その後、九州学院を創設し、鎮西学院との友好関係を築いた人である。ウエスレヤンの学生新聞には、彼についての多数の記事が見られる。YMCAやYWCA運動が盛んだった頃、彼か集会に参加していた記事、また授業の一コマを提供されて「日本の封建制度」についてヨーロッパの制度と比較して講義をした記録が新聞に数面に掲載されていた。大学で注目された一件だったようだ。これを翻訳して、山口哲生先輩に見ていただいた。保存していたのでこれも記して記念しよう。
これで創立者CSロング、一期生倉場富三郎、遠山三郎、佐野勝也千葉胤雄、合計5人の人物を紹介して、わたしのお祝いの気持ちを表したいと思います。
 なお、ウエスレヤンという名前がなじまないという理由での校名変更について、一言。なじまないとは言っても1980年に鎮西学院短大から長崎ウエスレヤン大学に改称し、さらに長崎ウエスレヤン大学の40年の間に「ウエスレヤン」を知らなかったが、学生時代を過ごした人たちの中にはウエスレヤン大好きな人たちも多くいます。特に留学生たちはそうです。校名変更についてはくれぐれもウエスレヤン愛好家の気持ちを尊重して、丁寧に説明していただきたい。からだを切り離して、頭だけ名前が変わっても、成功は難しいことになります。心身ともに新しくなってください。 


 
     

inserted by FC2 system