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はじめに 「よきサマリア人」(ゴッホ)をめぐって
本書の表紙にヴィンセント・ファン・ゴッホの「よきサマリア人」を掲載した。
ゴッホは1853年オランダに生まれた。25才の時、ベルギーのポリナージュの炭坑で伝道者となり、キリストにならう熱烈な伝道を試みた。ゴッホが伝道のかたわら描いた「よきサマリア人」は、彼の伝道精神をよくあらわしている。「馬鈴薯を食べる人々」は労働者の過酷な生活と彼らに対するゴッホの愛をあらわしている。しかし、ゴッホは伝道に破綻して、フランスに移り、画家の道へと進んだ。
□よきサマリヤ人のたとえ (ルカによる福音書 10:30-37)
ある旅人が強盗に襲われ、瀕死の状態になっていた。そこを三人の人が通りかか、った。そのうちの二人は旅人を見過ごしにしたが、サマリヤ人は助けた.。応急の手当てをし旅館まで運んだという。この場面が上の絵に描かれている。見過ごした二人は、神殿に仕える祭司とレビ人であった。「隣人とはだれですか」と問うた律法学者に、イエスは次のように、たとえを示して答えた。祭司とレビ人が見て見ぬふりをして通りすぎ、少数民族で差別されていたサマリヤ人が助けた。この中で「だれが隣人となったか」。隣人となったサマリヤ人を、イエスは評価している。同時に、見て、通り過ぎた祭司とレビ人を批判している。たとえの話の聖書本文は次のとおりである。
「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
□サマリア人 
サマリヤ人の起源についてはいくつかの説がある。イスラエルが南王国と北王国に二分した時、南王国ユダはエルサレムを首都とし、北王国イスラエルはサマリアを首都とした。紀元前七二二年、アッシリア帝国は北王国イスラエルを征服して滅ぼした。この時、サマリアの住民を捕虜としてアッシリアに連行した。その跡地に、各地からの異民族を移住させた。この人たちが混じりあい、宗教にも混交が生じた。
その後、アッシリアを滅ぼして、新しく興ったバビロン帝国は南王国ユダをも征服し、ユダの民はバビロンに強制連行された。これをバビロン捕囚という。その後ペルシア帝国が興こり、バビロンを滅ぼした。これによりイスラエルは五○年に及んだ捕囚から解放された。
バビロンから祖国に帰還した人たちは、エルサレムに神殿を再建しようとしたのであるが、「建築を手伝わせてください。わたしたちもあなたがたの神をたずね求めるものです」と残留民たちは申し出てきた。その中にサマリア人もいたという。しかし、捕囚からの帰還民はこれを断り、民族の純潔を守り、混血した残留民との共同を断った。エズラ記とネヘミヤ記はその事情を記している。
ユダヤ教はエルサレム神殿を再建した時に成立したとされる。エズラ記九章以下は「異民族の娘との結婚」を問題にし、これを罪としている。一○章では、異民族と結婚した人のリストをあげ、その妻子との絶縁を要求している。ネヘミヤ記には「イスラエルの血筋の者は異民族との関係を一切断ち、進み出て、自分たちの罪過と先祖の罪悪を告白した」とある。(ネヘミヤ9:2)
強制連行によってアッシリアで、あるいはバビロンで虜囚の苦しみを耐えていたとき、残留民たちはなにをしていたか。苦しみを共にせず、異民族と結婚し、「異民族の妻たちによって罪に引き込まれてしまった」。このようないきさつから、ユダヤ人はサマリア人との関係を断ち、これを排斥してきた。
「サマリア人」は、上記のように考えられてきたのである。しかし、事情は複雑で、簡単ではない。第一に、サマリア人こそ初めにアッシリアに連行され捕囚なったのであり、その後に移住させられた異民族をサマリア人とすることはできない。
少数民族サマリア人は現在も数百名の単位で存続し、サマリア独自の教団を維持している。サマリア人は、ユダヤ教の保守的立場と共通しているところが多い。偶像を廃し、唯一神への信仰を守っている。安息日を厳守する。割礼、会堂での儀式、モーセ五書を重んじた。つぎの点は異なるところであるが、独自のサマリア五書を経典としている。聖所をゲリジム山としている。エルサレムを聖所とするユダヤ教徒とゲリジム山を聖所とするサマリヤ教団とは、ながく敵対してきた。しかし表面は敵対しているが、なかには「よきサマリア人」のたとえにみられるように、交流もあったと考えられる。
ヨハネ福音書四章にイエスがサマリアを通ったときの話がある。イエスはシカルという町の井戸で、水をくみにきたサマリアの女と出会って、「命の水」について問答をした。サマリアの女は五人の夫がいた、今連れ添っているのは夫ではない、とイエスは指摘した。女は自分のことをなにもかも言い当てたイエスをイエスを預言者と思った。そしてイエスに畏敬の念を覚えた。信仰心を呼び覚まされたのである。自分たちはこの山で礼拝しているが、ユダヤ人はまことの聖所はエルサレムといっている。すると、サマリアの聖所で礼拝するのは意味がないことなのかと問うている。イエスはサマリアの女に次のように答えた。「この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝するときが来る。」(ヨハネ4:20)
真の礼拝は、霊とまことをもってするものである。「神は霊である。だから礼拝する者は、霊とまことをもって礼拝しなければならない」。霊として存在する神は、民族の違いを貫く原理とも言える。また、唯一神への信仰は民族の違いを超えていく。イエスによってユダヤ教というユダヤ人に固有の民族宗教は超越されている。ユダヤ教の民族主義、すなわちナショナリズムを、キリスト教は超えている。
一、旧約における民族 
聖書の民は三つの呼び名をもった。@ヘブライ人、Aイスラエル人、Bユダヤ人である。
神はアブラムに呼びかけ、生まれ育ったカルデアのウルから約束の地カナンを示して、旅立ちをうながした。神の声に聞きしたがったアブラムは、後に「アブラハム」(人類の父という意味を持つ)と名前を変えている。アブラハムによって聖書の歴史の部がはじまる。世界四大文明の発生地の一つ、チグリス川とユーフラテス川の流域にいくつかの帝国が勃興したが、その地域に繁栄した古代都市の一つウルで、アブラハムは生まれた。約束の地として示されたのは現在のイスラエル共和国である。その時アブラハムは七五歳だった。神の民イスラエルの歴史はここに源をもつ。
@ヘブライ人
アブラハムの旅立ちは、国籍をもたない難民であり、他国に寄留する「ヘブライ人」と呼ばれた。ヘブライとは旅の途上にある人、流浪、または難民の状態をさす。
Aイスラエル
アブラハムの孫に当たるヤコブは「イスラエル」という別名を与えられた。ヤコブの一二人の子は、それぞれの部族の頭となり、一二部族の連合体を「イスラエル」と呼ぶようになった。これはどちらかといえば共同体の名前、あるいは政治形態を意味する。
Bユダヤ人
第三の呼び名である「ユダヤ人」はヤコブの第四子「ユダ」に源をもつ。人種を意味する。
三つの名前をめぐってもう少しその背景をたずねてみよう。
@ヘブライ人 
前の章で犬飼道子を紹介して難民問題について述べたように、へブライ人は国籍を持たない難民状態をさしている。「寄留の他国人」ともいう。現代にいたるユダヤ人の放浪状態をさす。流浪の民が作り出した文化や言語を含む。スペインではセファルディとよばれ、ポーランドではアシュケナージという独自の言語と文化を生み出した。ヘブライ語は死語となっていたが、一九四八年にイスラエル共和国の誕生とともに忽然としてあらわれ、今はイスラエル共和国の国語として復活している。
ヘブライ人の本来の意味ははっきり分かっていない。紀元前二〜三千年頃、「ハビル」と呼ばれる人たちがいたが、それは特定の民族ではなく、一定期間傭兵のように権力者に仕える戦闘的なベドウィンだったともいわれる。この「ハビル」を「ヘブライ」と同一視できるかどうかは問題が残る。旧約聖書には「エベル」という個人名でアブラハムの先祖の名前が出てくる。(創世記10:21-30)。
アブラハムは「ヘブライ人」と呼ばれた最初の人である。(創世記14:13)
ヘブライには「寄留の他国人」という意味が加わってくる。先にのべたように、難民である。アブラハムは異国で妻に先立たれた。妻を葬るために墓を購入したが、その時次のように言っている。「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです」。アブラハムは妻を葬る墓を銀四百シェケルという高値で購入した。彼は家畜などの財産はもっていたが、妻を葬る土地を持っていなかった。これがヘブライ人の意味である。他人からは「ヘブライ人」と呼ばれたが、自分を「寄留の他国人」と呼んだ。不安定な身分であった。(創世記23:4)
アブラハムのひ孫にあたるヨセフは兄弟間の不和がもとで、エジプトに奴隷として売られた。代価は銀二○枚だった。王家に仕えるボティファルの家で奴隷として働き、全財産の管理を主人から任されるほど信頼されるようになった。ところが、主人の妻はヨセフに言い寄り、一緒に寝ようと誘惑した。ヨセフがこれを拒むと、妻は叫び声をあげて、ヨセフを主人に訴えて言った。「あなたがわたしたちの所に連れて来た、あのヘブライ人の奴隷はわたしの所に来て、いたずらをしようとしたのです」。ヘブライ人は弁明を許されるような身分ではなかった。ヘブライ人は奴隷に近い身分である。ヨセフはセクシャルハラスメントの加害者に仕立てられたのである。それから数年後、ヨセフは王が見た夢を次のように解いた。七年間の豊作の後、七年間の厳しい飢饉がくる。エジプトは飢饉に備える農業政策をする必要がある。王はヨセフの夢ときに感動し、国政をあずかる大臣の地位を与えた。ヨセフは獄中の人から一瞬にして国政の頂点に立った。ヨセフはエジプトを飢饉による滅びから救った。またエジプトを周辺諸国に対して圧倒的に優位な国に築いた。エジプトは飢饉をとおして豊かな国となったので
ある。エジプトが豊かであると聞いたヨセフの一族は飢饉を逃れてやって来て、次のように言った。「わたしどもはこの国に寄留させていただきたいと思って、参りました。カナン地方は飢饉がひどく、僕たちの羊を飼うための牧草がありません。僕たちをゴシェンの地に住まわせてください。」(47:4)
結局ヘブライ人であるイスラエルは四百年間の奴隷の境遇に身を落した。これが出エジプトの前史をなしている。「ヘブライ」の主な意味は寄留の他国人であり、今で言う難民である。
戦争、災難、ききん、疫病により住み慣れた家を離れなければならない人。殺人などの罪のために追放された人。政治的、経済的理由で故郷を離れる人。聖書の主要な人たちはヘブライ人である。彼らは寄留の他国人となった。彼らの難民体験は、やがて、モーセの十戒に見られるように、独特な戒律を生み出した。同じ境遇にある人たちに対する暖かいもてなしを要求する。聖書における人権思想の源泉といえる。ヨセフから四百年の後、モーセが生まれた頃、奴隷人口が激増していた。奴隷の反乱の恐れがあり、奴隷の力はエジプトの国を揺るがすほどになっていた。王は生まれた奴隷の子が男であれば殺せと命じた。ヘブライ人にとってはとても不安な暗黒時代になった。このような時にモーセは生まれている。モーセをとりあげたのは「ヘブライ人」の助産婦であった。生まれたばかりのモーセはナイル川に流されたのであるが、下流で水浴をしていた王の娘たちがこれを発見した。「
開けてみると赤ん坊がおり、しかも男の子で、泣いていた。王女はふびんに思い、「これは、きっと、ヘブライ人の子です」と言った。モーセは王の養子として育てられたが、彼はエジプト人ではない。あくまでヘブライ人であった。(出エジプト記
3:18,5:3,7:16 )
モーセの指導によって導き出された出エジプトの民は、約束の地に理想社会を描いた。その設計図は「十戒」につくされている。十戒には寄留の他国人の人権にたいする配慮が満ちている。また「逃れの町」はその象徴といえる。民数記三五章六節には「人を殺した者が逃れるための逃れの町を六つレビ人に与え、それに加えて四二の町を与えなさい」とある。その理由を説明して次のように言っている。「人を殺したものが共同体の前に立って裁きを受ける前に、殺されることのないためである」。
また申命記一○章一八、一九節に「神は孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちも、エジプトの国で寄留者であった」としている。
ヘブライ人の不安な経験は同じ境遇のものに対する暖かい思いやりとなり、それは町の中心に逃れの町を置くという独特な文化を形成した。
Aイスラエル
イスラエルはヤコブの別名である。そしてヤコブの一二人の子をさす。後には、ヤコブの一二人の子を頭とする一二部族の連合体をさすようになる。この名前は現在「イスラエル共和国」という国名となっている。イスラエルは神に選ばれた民、宗教的集団であり、祭儀的共同体をなした。イスラエルの命名物語は創世記三二章二九節にある。ヤコブの子は以下の一二人である。@ルベンAシメオンBレビCユダDイサカルEゼブルンFダンGナフタリHガドIアセルJヨセフKベニヤミン。
エジプトに移住したヤコブの子とその家族は七○人だった(出エジプト記2:5)。
四百年のあいだエジプトで奴隷の境遇にあったが、出エジプトの時は六○万人にもなっていた。出エジプトの後、四○年の間、荒野を放浪した。その後、約束の地カナンに侵入し、イスラエル部族連合を形成する。この部族連合の形態は「アンフィクティオニー」と呼ばれる。イスラエルとはこのような連合体をさす。やがて、三人の王によって全盛時代を迎える。三人の王とはサウル王、ダビデ王、ソロモン王である。ソロモンの子は国を北王国イスラエルと南王国ユダに二分してしまう。イスラエルという名前は北王国の国名として継承される。イスラエルとは一二部族の連合体と考えてよい。政治形態をさす言葉といえる。
Cユダヤ人 
ユダヤ人の起源は、ヤコブの第四子ユダを頭とする一族にある。「ユダヤ人」という名前が聖書に初めて出てくるのは、時代を下って、捕囚期の預言者エレミヤの預言にある。紀元前五八七年ユダ王国はバビロンに征服され、バビロンに強制連行された。この連行を「バビロン捕囚」という。捕囚の地バビロンで彼らは「ユダヤ人」と呼ばれた。また「ユダヤ教」はこの時点に成立したとされる。捕囚の五○年年後、バビロンを倒したペルシアによって捕囚の民は解放された。ペルシア王クロスは異民族の宗教に対して寛容な政策をとったので、ユダヤ人は祖国に帰還し、独立した国はもてなかったが、ユダヤ教を創設し、このなかに神の国の理想を追求した。
「ユダヤ人」という名称は旧約聖書で五一回出てくる。そのうち四七回、ほとんどが捕囚民の物語「エステル記」にある。ユダヤ人という呼び名は、はじめ捕囚地で他の民族と区別するために使われた名称であった。
新約聖書になると一九八回出てくる。ヨハネ福音書に七〇回、使徒言行録は八一回と多い。これは、ユダヤ教を母体として生まれたキリスト教が、ユダヤ教を強く意識して使った言葉である。吉本隆明は、キリスト教のユダヤ教に対する感情を「近親憎悪」(「マチウ書試論」)と言っている。キリスト教の勢力が大きくなるにつれて、キリスト教はユダヤ人を差別と排斥の対象としてきた。ユダヤ人は、イエスを十字架につけた張本人であるとし、そこに特殊な感情が加わってくる。
ユダヤ人はキリスト教社会では、キリスト教に改宗しなければ公の要職に就けなかった。ルターは、ユダヤ人はキリスト教に改宗するようにと説教をしている。音楽家メンデルスゾーンはキリスト教に改宗した。ゲバントハウス楽団の指揮者の地位を得て活躍することができた。彼はキリスト教に改宗しても、ユダヤ人であることに変わりはなかった。オラトリオの大作「エリヤ」は旧約聖書の預言者エリヤを主題にしている。エリヤは救国のユダヤ人指導者であり、作者のユダヤ人であることの誇りと民族のアイデンティティーをあらわしている。ユダヤ人に対する差別と排斥は、文学においてはシェークスピアの「ヴェニスの商人」にでてくるユダヤ人高利貸しシャイロックにステレオタイプ化してあらわれている。こうした土壌の中から、ヒトラーによるユダヤ人絶滅を目指した大量殺戮が生まれた。ユダヤ人排斥はここに頂点をなした。第二次世界大戦後、キリスト教が礼拝するイエスもユダヤ人であったことが強調され、ユダヤ教との関係回復が試みられている。
聖書の民族(ヘブライ人、イスラエル人、ユダヤ人)は、たえず民族存続の危機に遭遇している。生存のためにどんなに多くのエネルギーを使っただろうか。また民族のアイデンティティーの危機に直面し、苦悩している。旧約聖書は、このような経験が生み出した所産である。旧約の主題は「自己の生存」そのものであり、「神に選ばれた民」のアイデンティテイーを求める書だと言える。それは一民族(ヘブライ人、イスラエル人、ユダヤ人)の話であり、ナショナリズムの域を出ていない。
旧約に対して、新約はどうだろうか。イエスが説いた神の国は、すべての人に普遍的に備わっている神の国思想を展開する。民族の「ナショナリズム」を超え、「インタナショナリズム」の世界へと導いている。
二、新約における民族
イエスの民族体験 異邦人・サマリア人・カナンの女
神の国は、まず神が選んだユダヤ人に受け入れられて実現する。その後ユダヤ人の宣教によって世界に広められる。天地創造がめざす神の国はこのようにして地上に実現する。イエスはこう考えていた。しかし、イエスの思い描いたすじ書きは実現しなかった。イエスはユダヤ人に排斥され十字架につけられて死んだ。けれども異邦人に受け入れられ、世界にひろまっていく。
一つの例をマタイ福音書一五章二一以下にみよう。異邦人カナンの女が娘の病気をなおして欲しいと懇願した時、イエスはとても差別的なことを言っている。「子供たちのパンをとって小犬にやってはいけない」。子供とは神の民ユダヤ人であり、小犬は異邦人をさす。この発言はとても差別的で心が痛む。女はそれでも懇願した。「主よ、ごもっともです。しかし小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」。ほんのちょっとのことでいいから、娘を見てほしい。小犬だって、生きる権利はある。あなたはちょっとのことでも、娘を癒す力をもっておられる。お願いします。ちょっとした力でよいから娘にください。カナンの女の小さな信仰はイエスを感動させた。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」その時、娘の病気はいやされた。イエスは異邦人の小さな信仰を評価する。ユダヤ人の中にはこのぱんくずほどの信仰が見られない。一方の評価は他方を批判する。
弟子たちを派遣した第一回目の時、イエスは弟子たちに異邦人の町には行かないようにと命じた。
「イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。」(マタイ10:5
)
イエスは異邦人について既成観念をもっていた。異邦人に対する警戒がイエスに見られる。そこに弟子たちを送り込むことはせず、イエス自身が足を運んだ。イエスは異邦人の町、ガリラヤ一帯をめぐり、サマリアにも足を踏み入れた。そこで教え、いやしを行った。イエスはユダヤ人にはことごとく排斥されたのであるが、特に、ユダヤ人指導者であるファリサイ派と律法学者たちには目の敵にされたのであるが、異邦人の中に信仰が芽生え、癒しの奇跡が起こった。この現象に、イエスは驚いている。異邦人についての考えを大きく変えられる経験をしている。
ユダヤ人に,求められている信仰が見られず、異邦人の中にそれがあるという驚きである。イエスは異邦人の信仰を評価すると共に、ユダヤ人の不信仰を指摘し、信仰の復興を試みた。
ガリラヤ伝道 (マタイ4:12-17)
ヨハネの洗礼を受けたイエスは、荒野での試練を克服し、伝道に入る。
イエスは異邦人の町と呼ばれたガリラヤで伝道をはじめた。
この伝道について編集者マタイは預言者イザヤの書を引用して、異邦人に神の手がさしのべられたと、次のように位置づけている。「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」(マタイ4:15-16)
イエスの伝道活動は、ほとんどガリラヤ湖の周辺に集中していて、都エルサレムは宮参りの時と十字架の最後を遂げた時ぐらい行っているだけである。イエスの活動は、辺境の地から都市の宗教指導者を、批判していると見ることができる(田川建三「マルコ福音書」)。
教え 山上の説教の中の民族(マタイ五〜七章)
復讐してはならない。敵を愛しなさい。この教えは、ガンジー、そしてマルチンルーサー・キングに影響を与えた「非暴力の抵抗」の道を作った。彼らに影響を与えたイエスの言葉を三つほど記しておく。
「自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。」(マタイ5:47)
ユダヤ人の民族主義的信仰を批判している。それがよいものならば異邦人にも通用するようなものでなければならない。仲間内で挨拶したとしてもそれは異邦人だってしている。
「あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。」(マタイ6:7)
くどくどと祈るユダヤ人祭司・律法学者。彼らがさげすんでいる異邦人と同じ事をしている。
「それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。」
(マタイ6:32)
病気のいやし
百人隊長の僕 (マタイ8:5-13)
ローマから派遣されて駐留する部隊があった。マルコ福音書五章には「レギオン」という名が記されている。レギオンとは、百人隊六つからなる歩兵部隊を一○集めた軍団の名前で、六千人からなっていた。ローマ帝国の全軍団は二五あり、そのうち四軍団がシリアに駐在し、イエスの伝道活動の地もレギオンが統治していた。
その中で百人の部下をもつローマ兵の隊長がイエスのもとにきて、部下の病気をなおしてほしいと願い出た。百人隊長は部下に向かって「行け」といえば部下は行きます。「来い」といえば来ます。彼は言葉の権威を経験していた。そこで、百人隊長はイエスに「いやしのことば」を求めた。わざわざご足労には及びません。またそうする資格も、異邦人の私にはありません。ただ「おことばをください」と言った。イエスは「イスラエルのなかでさえ、これほどの信仰を見たことはない」と百人隊長の信仰を評価した。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」そのとき、部下の病気はいやされた。
ユダヤ人が蔑視する異邦人をイエスが評価する時、イエスの異邦人評価は、そのままユダヤ人批判とつながっていく。こうしたイエスの言動はユダヤ人を刺激し、十字架の処刑へと向かっていく。
□悪霊に取りつかれたガダラの人をいやす(マタイ8:28-34)
ガリラヤ湖の向こう岸、異邦人によって植民された町ガダラに、イエスは足を運んだ。そこで「悪霊」にとりつかれた人をいやした。生まれるときはみな同様に生まれるのだ。彼の人生を変えた悲しいできごとをイエスはみてとっただろうか。同じ記事がマルコ福音書ではもっと詳しく記されている。悪霊につかれたその人は自分の名前を「レギオン」と答えている。もちろん本名ではない。前に述べたように、その地に駐留するローマ軍「レギオン」と彼との間に、人生を狂わせるような出来事があっただろうかと推測させる。辺境の町には人種間の争いがあるものだ。しかし、生存のための最低限の人権は、人それぞれに認められなければならない。
□ファリサイ派批判 
「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている」。(マタイ25:27)
「ファリサイ」とは分離するという意味で、聖なる者と俗なる者とを分けて、自分たちを聖なる者と自称する人たちである。聖なる者は、アム・ハー・アレツとよばれた「地の民」と自分たちを区別した。「敬虔な者」という意味で使われた。レビ記にある清浄のおきてを厳守して、清くない者たちから分離された「清い者」とする説もある。この意味で、ファリサイ派はユダヤ人の中のユダヤ人であり、その民の本質をあらわす、民族の象徴と言える。「祭司」「律法学者」「サドカイ派」と呼ばれる人たちも、民族の象徴的職務をになってきた。いわば、民族主義の象徴的存在をなすナショナリストと言える。ところが、彼らは本務をはなれ、自分の地位の安全のみをはかり、己が腹を肥やすことにのみ汲々としている。親鸞は「本願ぼこり」と批判したが、形式主義に陥っていると、イエスは批判している。また逆にファリサイ派はイエスの奇跡や教えをまやかしではないかとチェックしている。
マタイ福音書がユダヤ人に向けてイエスを広めようとしたのに対して、ルカ福音書は異邦人にキリストを広めようと編纂されたといわれる。ルカはイエスの活動をひろく世界的な視点からとらえた。すなわち、イエスは「
異邦人を照らす啓示の光」である(ルカ2:32)。
さて、イエスなきあと、パウロが登場した時、パウロは熱心なユダヤ教徒であり、キリスト教を迫害する指導者であった。しかし、イエスに出会って、改心の体験をした。その後、こんどはキリストを宣べ伝える伝道者となった。彼は民族主義的ユダヤ教の枠から、キリスト教をひろく世界宗教へと成長させた。ユダヤ教の一派にとどまっていた、ナショナリズムの枠をとりはらい、インタナショナリズムの宗教へと成長させたのは、パウロの三度にわたる世界伝道によるところが大きい。世界伝道の経験は、ユダヤ教に固有の割礼を廃し、キリスト教に洗礼を導入する。またユダヤ教の過ぎ越しの祭りをイエスの最後の晩餐にちなんだ「聖餐式(ミサ)」として定着させた。パウロの民族意識についてみよう。
□パウロ 
「わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。」(ロマ1:5
)
パウロは異邦人伝道を自分の使命とした。その伝道の姿勢は、神は、ユダヤ人にとって唯一であるが、異邦人にとっても唯一である、という点にある。
しかし、彼はまた次のように自分のユダヤ人であり、かつヘブライ人であることに誇りをもっていた。「
わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。」(フィリピ3:5)。しかし、イエス・キリストに出会い、イスラエルの民族性をはるかに超越した普遍的価値を見出した。そしてキリストを宣べ伝える伝道者となった。パウロは広く国際的視野からキリスト教をとらえ、ユダヤ教を見ている。ユダヤ教はその宿命として民族宗教の枠をもちつづけるだろう。キリスト教はインタナショナリズムを獲得していく。キリスト教会を成立させた聖霊降臨の出来事は、まさにインタナショナリズムの基礎をつくる出来事であった。そこに集まっていたキリスト者は、「パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいる」。聖霊が降臨し、人々はそれぞれ自分の国語で語り合ってるのに、通じ合っていた。信仰を一つにすると互いに通じ合う、神の国がこの世の現実となった
。ここにキリスト教会の原形が示されている。
□尊称としてのヘブライ人 
パウロは自分を紹介して、わたしは「ヘブライ人の中のヘブライ人」と誇らしげに言っている(フィリピ3:5)。パウロはキリキヤのタルソという、外国に生まれたユダヤ人である。この自分を「ヘブライ人」と言っている。ヘブライ人は固有の文化を形成した。パウロの父は外国で十分成功し、ローマの市民権を獲得した。パウロも父から受け継いだローマの市民権を保有していた。
紀元前五百年代のこと、バビロン帝国に捕囚に引かれたユダヤ人は、他国に寄留する外国人、すなわち「ヘブライ人」となった。五○年後、バビロン帝国を倒したペルシアによって捕囚民は解放された。その時、祖国に帰還したユダヤ人は四万二千三百六十人だった(ネヘミヤ記7:66)。大多数の捕囚民は、祖国に帰らず、旧バビロン帝国にとどまった。その後ロシアやポーランド、またスペインなどヨーロッパへと広がり、それぞれの文化を形成していったのである。
紀元前三二二年世界を制覇したアレキサンダー大王によりギリシャ時代がをもたらされた。外国に離散するユダヤ人はギリシア語で「ディアスポラ」(διασπορα)と呼ばれるようになった。時代はローマに受け継がれ、ユダヤはローマ帝国の支配下にはいる。さて、紀元七○年、ローマの支配からの独立を目指すユダヤ戦争がおこった。三年にわたる戦いのあと、ユダヤ人はマサダという要塞で全滅し祖国を喪失した。その後、一九四八年にイスラエル共和国が成立するまで、ユダヤ人は離散の民として世界各地に寄留した。そこで成功した人たちに対しては「ヘブライ人」は尊称となった。新約聖書のなかには「ヘブライ人への手紙」がおさめられている。離散の民ヘブライ人への手紙である。
□清浄と差別思想
荒井献は「イエス・キリストを語る」の中で、「イエスは、『聖職者』の言行不一致を批判しているのだ、と一般的には解釈される。あるいはルカ自身もそのように解釈していたのかもしれない」とした上で、さらに、もう一つ、次のような読み方を提示している。「彼らはレビ記21:1に基づいて祭司たちに義務づけられていた清浄の掟に従い、半殺しになって横たわっていた旅人を『死人』と思って、汚れをさけるために旅人に触れなかった、とも読める。このように読むことを求めているとすれば、イエスの『聖職者』批判は、単なる言行不一致というよりは、それを超えて、人間の命を救うことを、事実上妨げることになる『清浄の掟』そのものに向けられることになろう。このたとえ話そのものでは、こう解釈したほうが、イエスの律法批判にふさわしいのではないか」
(「イエス・キリストを語る」1993 年NHKラジオ講座テキスト180頁)。
清浄の掟によると、遺体は汚れたもので、聖別され神に仕える祭司は触れてはならないとされた。ついでに、「清いものと汚れたものに関する規定」(レビ記11章)によると、食べてよい動物は、ひづめが分かれ、かつ反すうするもの。羊、牛などは清いとされた。しかし、反すうするだけ、またひづめが分かれているだけの生き物は食べてはならない。らくだ、たぬき、うさぎ、いのしし、豚は汚れたものとされる。また、魚類、鳥類、爬虫類についての清浄が規定されている。ユダヤ人は今もこの掟を守っている。
清浄規定がもつ現代的意味を解釈すると、それは宗教的というより、保健衛生上の規定で、食あたりを防ぐとか、伝染病を未然に防止する役割を果たした。祭司は保健衛生の仕事もしていた。教育、医学、政治など人の生活全般に大きな役割を果たしていた。食物栄養学の専門家にいわせると、豚肉は栄養価が高いのに、どうしてこれを汚れとして禁じたのかわからないという。(「食べ物からみた聖書」)
すると、清いとされる食べ物だけをたべ、汚れたとされる食べ物を食べない人間は清い人で、汚れた食べ物を食べる人間は汚れているという論理が生まれる。イエスの一番弟子で、イエスの死後キリスト教会の指導的人物となったペトロは夢を見て、天が開き、大きな布のような入れ物がつり降ろされて、中に入った、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥を料理して食べるようにと命じられる話がある。(使徒言行録10)
自分を清い人間だと思っていたし、そうでなければならないと思っていたペトロは、神の命令にひるんでしまった。汚れた食べ物を食べると、汚れた人間になると思っていたからである。夢の中の神はペトロに次のように言った。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」(同10:15)
この後、ペトロは異邦人でローマから派遣されていたコルネリウスという人物に出会い、イエスの福音を語って聞かせることになる。
民族によって、摂取する食べ物の違いがある。朝鮮では犬を食べるが、日本では食べない。日本人はくじらを食べてきた少数民族である。多数のぐじらを食べない民族からすると、日本人は野蛮に見えるだろう。日本人はキリシタンと出会うまで、肉を食べなかった。当時、肉食人種は野蛮に思われた。
食べ物の清浄区別は保健衛生上は有効である。しかし、民族によって摂取する食べ物が異なることを認めないで、民族の清浄とする過ちは、イエスの弟子ペトロと異邦人コルネリウスとの出会いの話に指摘されている。 ユダヤ教の圧倒的な影響下から脱皮し、一人立ちしていくキリスト教のなかに、克服しなければならない差別意識が見られる。差別意識は、つくられたものでありながら、人のこころを捕らえてこれを支配する。その影響下に
生まれ育つ人は皆、克服しなければならない差別意識を自分の中にもっていると言える。

 エッケ(民族の人権)  
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