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第一〇章 文学における民族差別

一、ちびくろさんぼ
二、ベニスの商人文学における差別
□文学における人種差別


一、ちびくろさんぼ

ベニスの商人 文学における差別
一、「ちびくろさんぼ」
 「ちびくろさんぼ」は長いあいだ子どもたちに親しまれてきた。ところが題名や人物名が黒人を差別していると批判され、講談社、小学館、学習研究社などにつづいて岩波書店も本書を絶版とし、すがたを消すことになった。はじめにちびくろさんぼの概要を記し、何が問題になったかを述べよう。以下は岩波版による。


「むかし あるところに ひとりのちいさなおとこの子がいました。

名まえをちびくろ・さんぼといいました。そして おかあさんは まんぼといいました。そして おとうさんはじゃんぼといいました。」(一〜五頁)

 最初の二頁で小さい主人公が紹介されると、子どもたちはそれを自分と比較して身近に感じたり、自分と同一視する。二頁で母親がでてきて、さんぼに一つの幸福が加わる。父親がでてきて、あかい上着、青いずぼん、みどりのかさに、むらさきいろのくつ。さんぼは満足だった。幸福な子どもであった。幸福の絶頂に達した時、八場面で、急転直下、さんぼは生命の危険にさらされる。

「するとまもなく いっぴきのとらがでてきました。とらはさんぼにいいました。「ちびくろ・さんぼ。おまえをくっちゃうぞ」(一四頁)

その危機からさんぼがどんなにして抜けぬ出したか。いじわるとらからどんなにうまく逃げたか。一つ一つの場面で展開する。

「どうかとらさん ぼくをたべないでください。このぼくのきれいなあかいうわぎをあげるから」。とらはあかいうわぎをとりあげてまんぞくしてさる。

つぎのとらには 「ずぼんをあげるから」とのがれ、つぎのとらには「むらさきいろのくつをあげるから」とのがれ、「みどりのかさ」もとられてしまう。

そして「ちびくろ・さんぼは、きれいなふくや かさや くつを いじわるなとらに みんなとられて、なきながらあるいていきました」。(三二頁)

 さて、とらたちはだれがいちばんりっぱなとらであるかを、あらそいはじめ、さんぼからとりあげたきものやくつやかさを放り出してけんかをした。互いにあいてのしっぽをくわえたとらたちは、木のまわりをぐるぐるまわって、ついにバタのようにとけてながれてしまいました。さんぼは、とらのバタでやいたほっとけーきを、おなかいっぱいたべて、満足のうちに物語りは終わる。


 児童文学者石井桃子は「子どもの図書館」(岩波新書、1965年)の中で、本書について二七頁をさいて評価している。まず子どもが喜んで読む。話が動く絵になっている。ことばが単純明快、いらないことばは一つもなく、うれしいとか、かなしいとかいう、心のなかのことをあらわす形容詞や動詞は、とらがおこったという時と、まんぼが喜んだというときのほかには使っていない。石井桃子は本書を絶賛している。

 本書はイギリスからインドにわたった一婦人バナマンが三七歳の時、六歳と三歳の自分の娘達を喜ばようと思って創作し、イギリスで発行された。「イギリスでは日陰もの扱いだった。アメリカでは非難の的になった。しかし、日本ではひじょうに愛され、岩波版では三七年間に一二〇万部を売り上げた」(「さよならサンボ」平凡社)。石井桃子はもうすこし詳しく書いている。「本書は出版当時、大人たちの間では評判にならなかったが、一〇年たっても子どもたちは愛読していた。英米では公共図書館が活動を始め、三、四、五歳ぐらいの子ども達が「ちびくろさんぼ」をよく借り出すのにきづいた。こうして、大人たちはこの本を見直して傑作であることを発見した」という。

 ところが、「黒人差別をなくす会」がこの本に抗議し、岩波書店をはじめ各書店が絶版を決定した。これによって「ちびくろサンボ」は一九八八年「東京で死んだ」とエリザベス・ヘイは記している。(「さよならサンボ」平凡社)

 原作の舞台は、虎がいるインドである。サンボは恵まれた家庭で暮らしている。白いクロスのかかったテーブルで、高い背もたれのついた椅子に座っていた。ところが、話の舞台はアメリカに移され、サンボ達はアメリカ黒人になってしまった。

 一九五〇年代のニューヨークのハーレム地区で黒人の子ども達は「ちびくろサンボ」絵本が大好きだった。ところが黒人解放運動が全米に広まり、一九五二年にニューヨーク、ロチェスチーの全米有色人種振興協会支部は「サンボ」を追放、続いてトロント教育委員会が、ネブラスカ州の公立学校で「サンボ」を回収した。図書館大会、宗教者会議に対して人種差別図書の廃棄を要求をし、「サンボ」を排斥した。


◇日本におけるちびくろさんぼ問題の経緯

 一九八六年八月二二日、当時の中曽根首相が「日本はこれだけ高学歴社会になって、相当インテリジェントなソサエティーになってきておる。アメリカなんかより、はるかにそうだ。平均点からみたらアメリカには黒人とかプエルトリコとか、メキシカンとか、そういうのが相当おって、平均的にみたら非常にまだひくい」と発言し、八月二四日、米議会トーレス下院議員や、黒人議員連盟から抗議を受けた。これに対して中曽根首相は「米国は複合民族なので、教育など手の届かないところもある。日本は単一民族だから手が届きやすい」などと弁明したが、これに対して、一〇月二一日アイヌのウタリ協会などが抗議した。アイヌの民族も沖縄の民族も存在する。また在日韓国・朝鮮人は七〇万人いる。日本は単一民族という理解は事実に即していない。中曽根首相は「私もマユやヒゲが濃いし、アイヌの血が相当入っている」などと発言した。

一九八八年六月「ワシントンポスト」の極東総局長、マーガレット・シェピロ氏が都内の百貨店でおもちゃのさんぼをみて驚いた。七月、同氏はそごう百貨店で黒人のマネキンを見て、日本発のニュースにしようと決心した。

七月一八日、「ワシントン・ポスト」がサンリオ社、ヤマトマネキン社、そごう百貨店を取材した。

七月二二日「黒人の古いステレオタイプが日本で息を吹き返す。市場関係者は差別の意図なしと強調」という見出しで「ワシントンポスト」に掲載された。

七月二三日日本の各紙に「ワシントンポスト」の記事内容が伝えられる。

七月二四日、渡辺美智雄政調会長が自民党の軽井沢セミナーで、アメリカの黒人は破産しても「アッケラカンのカー」だという主旨の発言をした。

七月二五日この発言を「ワシントンポスト」が報道した。、サンリオ社、ヤマトマネキン社は製品の製造中止と市場からの撤去を決める。

八月一日、黒人議員連盟は竹下首相に渡辺発言について抗議の書簡を送る。

八月九日、「黒人人形・マネキン人種差別問題の波紋」(朝日新聞)と、絵本「ちびくろサンボ」の差別論争が英米での排除の状況が報道される。

八月一一日、有田利二氏親子三人が「黒人差別をなくす会」を結成し、黒人を商品化したものを集める。

一二月八日、小学館、学習研究社、講談社が絵本「ちびくろサンホ」絶版の方針をきめる。その後、新聞・雑誌などに「ちびくろさんぼ」絶版をめぐる投書が掲載され論議がなされた。問題を整理すると次の諸点があげられる。

一、「サンボ」という呼び方は南米のインディオと黒人の混血の呼び名であったが、一九六〇年代からはアメリカでも黒人への蔑称として使われてきた。

二、物語に登場するサンボの母「マンボ」と「ジャンボ」とつなげると「ちんぷんかんぷん」という意味であることが分かったからだという。

当時の岩波書店社長緑川氏は「気づくのが遅かったが間違いがわかったので絶版にしました。お話自体は子ども夢をかき立てる要素があるとしても、主人公と父母の名が黒人への蔑称とわかっては出せません。訳者の遺族の了承も得ました」(「朝日新聞」1988.12.15)と語っている。

 「さよならサンボ」の著者エリザベス・ヘイはバナマンと同じように九歳までインドで暮らした。「ちびくろサンボ」絶版の事情を調査するために来日し、日本にも差別問題があることを知って被差別部落と在日朝鮮人が居住する地区を訪ねた。「わたしの見た所、日本の『ちびくろサンボ』問題は、十分な議論をし、社会全体が問題を理解して絶版にいたる決定がなされているように思えなかった」。また「日本人は、突然絶版にし、出版リストからの削除を宣言するとか、学校や公共の図書館からの追放を強要するというように、いったいに極端な反応を示す傾向がある。」(同書51,52頁)と言っている。エリザベス・ヘイの発言は、この種の問題に対する大事な示唆を与えている。岩波版だけでも三七年間に一二〇万部を売り上げ、多くの子ども達に親しまれる文学的生命とはなんだろうか。

 主人公が登場し、幸せな家庭が紹介される。幸福の絶頂に達した時、急転直下、いっぴきのとらがあらわれ、さんぼは生命の危険にさらされる。さんぼはちっともあわてず、自分の持ち物をとらにあたえて、危険を逃れる。「どうかとらさん ぼくをたべないでください。このぼくのきれいなあかいうわぎをあげるから」。とらはあかいうわぎをとりあげてまんぞくしてさる。つぎつぎにあらわれるとらに、すべてをとられてしまい、与える物がなくなったとき、とらは自分が奪ったものを自慢して喧嘩になり、自滅をしてしまう。このストーリのなかで、子どもは、猛威をふるう存在に太刀打ちできない存在であるが、小さいながらも危険には落ち着いて対処し、知恵を働かせることはできる。自分には解決する能力がなくても、とらが自分たちで争って自滅することによって、解決が訪れる。

 さんぼとまんぼが経験することは、読者である子どもたちの日常の経験でもある。子どもは自分で問題を解決する能力はとぼしい。幼くても落ち着きと知恵を発揮することはできる。また無能力であり弱く小さい存在が純粋無垢でありかつ無罪性をあらわすと同時に、能力あるものの係わりかたや、その問題性があらわれる。ちびくろさんぼの文学的生命は、このように子どもが経験する真実にあると言える。文学的評価をしないで、民族差別という視点から、根こそぎ否定するような、解放運動とは何だろうか。問題があれば、本の中に注釈などで問題を指摘し、議論の場を作って、絶版というような抹殺はしない方がよいのではないか。年月をかけて、皆が納得いく解決をさぐることはできないだろうか。

「ちびくろ・さんぼ」は、はじめ大人の目にとまらなかった、しかし一〇年たっても子どもたちは愛読していた。また黒人解放運動が広まる前は一九五〇年代のニューヨークのハーレムで子どもたちに大人気だった。そして日本では岩波書店は一二〇万部も売り上げるドル箱商品となっていたのである。エリザベス・ヘイは「さよならサンボ」の中で、本書の誕生から、アメリカでの評価、日本での受け止め方を明らかにし、他民族の共存を指向している。このような作業が求められる。


二、ベニスの商人 文学における差別 

ポーシア さあ、肉を切りとる用意をするがいい。ただし、血を流してはならんぞ。また、切り取る肉は正確に一ポンド、それ以上でも以下でもいけない。かりに一ポンド以上、または以下の肉を切りとれば、たとえその軽重の差が一ポンドの千分の一、いやまた三十分の一にすぎなくても、とにかく、秤が髪の毛一筋ほどの傾きでもみせたとすれば、その身は死刑、財産はことごとく没収することになる。(「ヴェニスの商人」小田島雄志訳、白水社、147、以下同書から)


バッサーニオは友人アントーニオを保証人として、ヴェニスの商人シャイロックから三千ダカットを三ヶ月借りた。シャイロックは利息のかわりにアントーオの胸の肉一ポンドを担保とする証文を書かせた。ところが、アントーニオが所有する三隻の貿易船が海峡で座礁したとの知らせが入り、アントーニオは三ヶ月の約束の日に返済できず、破産した。シャイロックは証文通り胸の肉一ポンドを要求して譲らなかった。そこにバッサーニオの婚約者であるポーシャが法学博士に扮装して登場し、右に記した名判決を言い渡し、裁判はシャイロックの負け、アントニオは命を救われる。ハッピーエンドの喜劇となっている。


「ヴェニスの商人」(一五九六年)はいくつかの話から成り立っている。

一四世紀後半に編集された散文説話集「イル・ペコローネ」のなかに、父親を亡くしたヴェニスの商人アンサルドの養子となったジャネットの話がある。ユダヤ人から借りたお金を返せないときにはからだのどこからでも肉一ポンドを切り取ってもかまわないという証文を書いたのであるが、期限がきても返せずに生命の危機に瀕する。そこにボローニャの若き法学博士に扮装したジャネットの妻が登場し、ポーシャとおなじ論法で、この事件を解決する。「ヴェニスの商人」はこのような人肉証文の話をもとにしている。それに箱選びの話を加えた。結婚相手を選ぶとき、金と銀と胴の三つの箱から、いわばくじを引いて選ぶという箱選びの話である。指輪のエピソード、それに男装の話など多彩に組合わされている。

「ヴェニスの商人」の成功は、当時の時代状況によるところもおおきい。すなわち、一五九八年ユダヤ系ポルトガル人でゴデリーゴ・ロペスの事件は社会的な波紋をよんだ。ロペスは一五八六年エリザベス女王の侍医となり、八八年にポルトガルの次の王となるアントニーオ・ペレスがスペインから英国に亡命してきた時、その通訳にも任じられていた。ところがロペスは、アントニーオと、さらには英国女王まで毒殺をしようと企てたという嫌疑をかけられた。ロペスは無罪を主張したが、ついに死刑になり、群集の前で四つ裂きにされた。こういう事件があった。このため、ユダヤ人に対する反感がロンドンに再燃したという。クリストファ・マーロウはこの事件に題材を得て「マルタ島のユダヤ人」を上演し年間一五回も公演するという成功をおさめた。シェイクスピアはこの一連の出来事に刺激されて、ユダヤ人を扱った芝居を書いた。それが「ヴェニスの商人」である。

私たちは、このような作品論や批評に学ぶところが多々ある。主人公はだれか。シャイロックか、バッサーニオか、あるいはアントーニオであるか。何がテーマであるか。議論はすでに出し尽くされた感がある。私たちは、文芸批評をしているのではない。文学が人種差別を助長することがある。文学の責任を問題にする。すなわち、文学による差別であり、文学の責任問題である。


□文学における人種差別

ユダヤ人は本当にシャイロックに描かれているような人でなしなのか。シャイロックにステレオタイプ化されているユダヤ人、それは文学上の架空の人物だといって済まされない問題がある。それによって読者にはいりこむユダヤ人についてのイメージはどんなものかという問題である。作品の成功は、見事にステレオタイプ化されたユダヤ人像でもある。作品の中に、ユダヤ人がどのように描かれているかを見よう。


ステレオタイプ化されたシャイロック

シャイロックは、アントーニオが三千ダカットの借金を申し込んだとき、次のようにキリスト教を批判する。


シャイロックはいう。「おれはあいつが大嫌いだ。キリスト教徒だからな。だがそれより気に食わんのは、謙遜ぶってばか面さげ、ただで人に金を貸しやがって、ヴェニスのおれたち仲間の金利を引き下げてることだ。・・・・あいつはおれたち神に選ばれたユダヤ人を憎んでいる、・・・・・おれを、高利貸とぬかして悪態をつく。・・・・。」

これに対しアントーニオは「シャイロック、おれはもともと金の貸し借りに利息のやりとりはしない主義だが、友人の急場を救うためにはやむをえまい、この際おれの流儀を破ることにしよう」と答える。


□イギリスでは、当時、法律で金貸しを禁じていたと、木下順二は次のように言っている。シェイクスピアの時代にはたびたび金貸しを禁止する法律が定められた。この話の舞台はヴェニスであるが、シェイクスピアはイギリスの慣習をヴェニスに当てはめている。ヴェニスでも金貸しは禁じられていただろうか。また一二九〇年エドワード一世の時代、ユダヤ人をイギリスから追放して以来、クロムウェルが共和制の国を作るまで、イギリスにユダヤ人はいなかった。少なくとも表向きはいない。いるとしても非合法的に指定された居住区であるゲットーに住んでいて、シャイロックのような表だった金貸しはできなかった。(「シェイクスピア」Wヴェニスの商人、講談社352)

シェイクスピアの時代のキリスト教は清く正しいという潔癖な倫理観により、商売や金貸しを、どちらかというと卑しい職業とし、その職業に携わる人を卑しいと考えていた。アントーニオは利息を取って金貸しをするユダヤ人を「犬」とよんでいる。シャイロックは言う。「だんな様はこないだの水曜日に唾をはきかけてくださり、いつだったかは足蹴にかけてくださいました。また犬とよんでくださったでございます。そのお礼に『しかじかの金額必ずご用立てしましょう』と言わなければならないのか、と抗議する。アントーニオは答えて言う。「おれはこれからもおまえを犬と呼ぶだろう。唾を吐きかけ、足蹴にすることもあるだろう。だから金を貸してくれるなら、友人に貸すとは思うな・・・・おまえの敵に貸すと思うがいい・・・」。こういうわけで、シャイロックはアントーニオの言い分を容れて、無利息で貸し、そのかわりに肉一ポンドという証文をとる。アントーニオは「あのユダヤ人もキリスト教徒に回宗しそうだな、親切になったよ。」と満足した。この第一幕でのやりとりに、当時のユダヤ人観のほとんどがあらわれている。

第二幕、三幕はポーシャの結婚相手選びの話。モロッコ大公、アラゴン大公、そしてバッサーニオが金と銀と胴の箱を開き、バッサーニオがポーシャを射とめる。

その間、シャイロックの使用人ラスンロットが耐えかねて主人の元を逃げ出したり、娘ジェシカが父の反対をふりきって恋人ロレンゾーのもとに走っていくなどのごたごたがあり、さらにアントーニオの貿易船が荷物を満載したまま難破したという知らせが入る。まさか、アントーニオの肉をとろうなどとは言わないだろう。とったところでなんの役にも立つまいというサリリーオに対して、シャイロックは反撃にでる。「腹の足しにはならなくても、魚釣りの餌ぐらいにはなる。・・・やつはおれに恥をかかせた、・・・おれが損をすりゃ嘲笑った。おれが得をすればばかにした。おれの民族をさげすんだ。おれの商売をだめにした。・・・・いったいなんのためだ、おれがユダヤ人だからだ。ユダヤ人をなんだと思ってやがる?・・・・キリスト教徒とどこがちがう。同じ食い物をくい、同じ刃物

で傷つき、同じ病気にかかり、同じ薬で治り、同じ冬の寒さ、夏の暑さを感じたりしないとでもいうのか?・・・・おれはたちはひどいめにあわされても復讐しちゃいかんとでも言うのか?」(86-87)

第四幕はヴェニスの法廷にかわる。シャイロックは「石のような冷血漢、卑劣きわまる人非人、あわれみの情などさらさらなく、慈愛のかけらさえもない男」と呼ばれる。また、山犬のような根性は、狼の中にあったのだ、とも言われる。シャイロックに対して、アントーニオは、平静な心で、シャイロックの残忍、暴虐に耐える覚悟をする。彼は当時のキリスト教の理想的人間像と言える。

しかし、ヴェニスの法ではシャイロックが要求する言い分は、正当であって何の間違いもない。アントーニオが担保とした肉一ポンドは動かない。シャイロックは肉を切り取ることが「ならぬと言うなら法律も糞もない。ヴェニスは闇だ」と言って譲らない。社会の骨格をなしている「法」がユダヤ人からすると、どんなに非人間的なものであり、差別的な悪法であったとしても、それが社会を基礎付けてきた。このキリスト教社会に対して、今度はその法と正義を盾にとって反撃にでるのである。「法」は今、シャイロックの武器となっている。この法を捨てるわけにはいかない。すこしでも譲るわけにもいかない。シャイロックは勝ち誇り、アントーニオは窮地に陥る。

そこで、法学博士に男装して登場したポーシャは言う。「正義のみを求めれば、人間だれ一人救いにはあずかれまい。そこでわれわれは慈悲を求めて祈る。その祈りそのものが、われわれに慈悲をほどこせと教えているのではなかろうか」

「義人がその義によって滅びることがあり、悪人がその悪によって長生きすることがある。あなたは義に過ぎてはならない」と旧約聖書伝道の書七章一節にある。完全な義は神にあって、人間が完全な義に到達することはない。旧約聖書はキリスト教とシャイロックのユダヤ教に共通する考え方である。自己の義を主張する「自己義認」は、自分を神とする悪である。ここから次のようにキリスト教の教理が出てくる。人は神の慈愛によってのみ罪を赦され、はじめて義と認められる。パウロは次のようにキリスト教の教理を説いている。人が義とされるのは行いによるのではなく「信仰」による。(ローマ信徒への手紙三章)。自己の義を主張するシャイロックはこの信仰がなく、神の慈悲を知らないために、無慈悲になっている。あくまで心を入れ替えてキリスト教に回宗しなければ救われない、罪人の陣営にいる。

アントーニオは「法」によつて窮地に追いつめられるが、アントーニオを追いつめた同じ法によって、今度はシャイロック自身が窮地に陥る。証文には肉一ポンドと記してあるが、血を流してよいとは書いてない。また一ポンドとは、それを切り取るとき、髪の毛一本ほども多くても少なくても許されない。さあ血を流さずに一ポンドきっかりを切り取れ。このように法は命じる。シャイロックは実行不可能な法の執行命令によってギブアップする。キリスト教徒側の温情によって、命だけは助けられるが、シャイロックは財産すべてを没収され、失うことになる。加えて、「キリスト教徒に回宗すること」を条件として放免される。

第五幕は窮地を救われたお礼をめぐって、法学博士に扮装したポーシャはなにもいらないと言い、ただ、バッサーニオが指につけている指輪を求めた。妻と生涯の愛を誓ったしるしの結婚指輪を、バッサーニオは手放してしまう。この後日談によって話の喜劇性が効果的に加味されることになる。

□ユダヤ人の生活 メンデルスゾーンのばあい

ユダヤ人がどのような生存を余儀なくしていたか、知られるところは少ない。一六世紀のシェイクスピアの時代からずっと後になるが、一八、九世紀を生きたメンデルスゾーンの伝記からユダヤ人の生き様の一端をみよう。以下は「三代のユダヤ人ーメンデルスゾーン家の人々」(ハーバート・クッターハーバー著、東京創元社、1985)を参考にした。

メンデルスゾーンといえば結婚式の行進曲として奏でられる「真夏の夜の夢」の作曲家として知られている。また讃美歌の中には九曲(1-2,30,98,190,314,406,2-62,208,209)がおさめられている。話はその祖父モーゼス・メンデルスゾーン(1729-1786年)から始まる。モーゼスがドイツのデッサウのユダヤ人居住区・ゲットーからヘルリンのゲットーにやってきたのは一四才の時であった。そこから身を立てた。二代目アブラハム・メンデルスゾーンは銀行事業を展開した。「メンデルスゾーン・アンド・カンパニー」銀行は、一九三八年にナチスによって閉鎖されるまで、ヨーロッパ全域をネットしていた。ナポレオンの革命を支援したり、ヨーロッパの歴史に深くかかわった。ナポレオンはフランス革命によって約束した自由と平等の精神を実現し、ユダヤ人も解放されると期待したのである。三代目フェリクス・メンデルスゾーンはキリスト教に改宗してライプツィヒのゲバントハウスの指揮者の地位を得た。それから、世界に繁栄をほこったヴィクトリア時代のイギリスをまたにかけた活動をした。

さて、モーゼス・メンデルスゾーンがベルリンに来た頃のことである。当時、フリードリヒ大王が支配するプロイセン王国ではすべてのユダヤ人を三階級にわけていた。第一の階級は「宮廷ユダヤ人」である。かれらは何の拘束もうけずに生活し、王のもとで、業務顧問、財政問題の交渉役、あるいは造幣局の役人などを勤めていた。第二の階級は「保護ユダヤ人」である。彼らは許された地域に住む権利が保証されていた。第三の階級は「黙許ユダヤ人」である。大部分のユダヤ人がそうであった。彼らには市民権はなく、法的な身分は何一つなく、何の通告もなく追放されることがあった。ベルリンの人口は一〇万人、そのなかにユダヤ人は千五百人ほどが住んでいた。ドイツはまだ国家の形態をとっておらず、小さな領邦国家がそれぞれの宮廷をもち統治者をもってい。こうした国々のなかで才能のあるユダヤ人は取りたてられて、第一の階級を得、ゲットーを出ていた。

ロスチャイルドの伝記によると、ゲットーはまるでごみ捨て場と隣接してあるような居住区であるが、ごみの中に捨てられた古銭に着目して身を立てた。国ごとに違う貨幣を集めて、これを交換する。異なる貨幣の交換が金融の始まりであった。貨幣の動きを見ると、そこには国の運命を左右するような情報があった。こうしてロスチャイルドはメンデルスゾーンと同時代に金融業をヨーロッパにはりめぐらし、第二次世界大戦のナチスの時代を生き残った。しかし、メンデルスゾーンの銀行は一九三八年ナチスによって閉鎖されると、そこで絶えてしまった。

音楽における民族性

メンデルスゾーンは、彼より四つ年下のリヒャルト・ヴァーグナーによって攻撃される。ナチの時代になると、ユダヤ人の音楽は排斥されるようになった。ヴァーグナーは一八五〇年「音楽におけるユダヤ性」という批評により、ユダヤ人はすべて真の芸術の敵であると非難し、メンデルスゾーン排斥の先頭をきった。メンデルスゾーンは真のドイツ人を犠牲にして、ライプツィヒをユダヤ人の「音楽の都」にしてしまったと非難した。それに対してヴァーグナーの音楽どうだろうか。「タンホイザー」や「トリスタンとイゾルデ」、「ニュルンベルグのマイスタージンガー」はよく知られている。バイロイト音楽祭は世界的なイベントとなり、バイロイトは聖地とされてきた。ヴァグナーの題材はすべてゲルマン民族の伝説と神話からとられている。そのことで分かるように、ヴァグナーはゲルマン民族の優位性を、その音楽の思想としてあらわした。ドイツ国民がヴァーグナーに親しんでいなかったなら、ナチはあれほどたやすく政権をとることはできなかっただろうといわれるほど、ヴァグナーはナチスの思想と一致していた。ヴァグナーの歌劇の中には、ドイツ人は高貴な種族として、ユダヤ人は卑しい 悪役として登場する。「ニーベルンゲンの指輪」はその傾向をはっきり出している。一方の神々の系列にいる高貴で優秀な種族であるジークムント、ジークフリートがいて他方には卑しい種族であるアルベリヒ、ミーメ、ハーゲンがユダヤ人をステレオタイプ化している。ヴァグナーの音楽に陶酔した人は、ちょっとしたことでも、高貴な種族が卑しい種族を滅ぼすことになんのためらいももたなくなる。音楽の魔性といえる。

こうして排斥された音楽家は、メンデルスゾーンをはじめとして、マイヤーベーア、マーラー、「三つのM」と呼ばれた巨匠たちをはじめとしてユダヤ人音楽家たちであった。ナチスがゲヴァントハウス前のメンデルスゾーンの銅像を引き倒そうとしたとき、ライプツィヒ市長カール・ゲルデラーは抵抗し、これを阻止した。しかし、一九三七年、ゲルデラーが留守の間に、ナチの将校達は銅像を引き倒した。ゲルデラー市長はこのことに烈火のごとく怒り、抗議して市長の職を辞してしまったという。彼は一九四四年、ヒトラー暗殺未遂事件のかどで、捕らえられ処刑された。戦後、ナチの崩壊と共に、メンデルスゾーンをはじめとするユダヤ人の音楽に対する偏見と差別は解かれ、名誉回復がなされた。

「三代のユダヤ人ーメンデルスゾーン家の人々」には教えられるところが多い。訳者である横溝亮一はなぜ翻訳をすることになったかという事情を後書きで次のように書いている。一九七〇年代になるが作曲家武満徹氏を中心とする現代音楽祭がパリで行われたとき、武満徹の発案によって照明を消した客席を後方からスポットライトで頭上をなめるように照らした。すると場内が騒然となり、「この作品はアウシュヴィッツを描こうとしているのか」という抗議によって、演奏は中断した。居合わせた作曲家オリヴィエ・メシアン氏の仲介で、このスポットライトの効果が強制収容所の脱走防止の探索灯を思い出させたことを知った。訳者はユダヤ人問題について認識がなかったことを痛感した。さらに、べつの機会にニューヨークでアメリカ人青年たちと会食したとき、あの異様な体験を話題にしたところ、一人のアメリカ人がテーブルに突っ伏して大声でなきはじめた。「そういう話題はやめてくれ。あなたたち日本人はあまりにもわれわれユダヤ人の過酷な歴史を知らなさすぎる。自分もユダヤ人だけれど、同胞たちの悲惨な運命を軽いエピソードのように語られてはたまらない。今、このアメリカ社会 の中でも、ユダヤ系市民がどのような眼で見られ、遇されているかをあなたたちは知っているのか」。こういう体験によってユダヤ人問題について関心を持つようになったと記している。このような話をきくと、私たちが受けた歴史教育はどんなものだろうかと不安になる。知らなかったでは済まされない、過ちを犯してきたし、犯しつづけるのではないか。知らぬ、存ぜぬではすまない。「無知こそ罪」であると言う問題に遭遇するのではないだろうか。そうならないためには、民族の人権について基本的な感覚を養っておかねばならない。


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